2017年08月07日

8/7「暮しのなかで考える」

仕事の答え待ちの隙を突いて外出。だがそれほど多くの時間を自由には出来ないので、近所の古本屋さんを見に行くに留まる。風が強くなり、段々と灰黒色の雲がハイスピードで動き始めた空の下を早足で歩き、まずは阿佐ヶ谷「古書コンコ堂」(2011/06/20参照)。ちょうど店主・天野氏が出入口のガラス戸を、キュッキュッと磨いていたので挨拶を交わす。時間は無いのに冷房が涼しい店内にわりと滞留し、中公文庫「日本妖怪変化史/江馬務」本の雑誌社「本の雑誌風雲録/目黒考二」マガジンハウス「BRUTUS 137 特集:ブルータスの古道具三昧」を計356円で購入する。まだ少し、天気にも時間にも余裕がありそうだと、さらに足を早めて『七夕祭り』で地獄の釜のような賑わいを見せる駅周辺を突破し、そのまま荻窪まで歩いて「ささま書店」(2008/08/23参照)。ちょうど店頭を雨仕様にチェンジする場面に出くわす。こちらでも店内冷房の恩恵にたっぷりと預かり、徳間書店「町の案内図/河野典生」を105円で購入する。そんな感じで、あっという間に時間一杯になったので、さらに足を早めて『日大二高通り』を北東に遡上して、雨の降り出す前に家に帰り着く。

さて、ここ二日ほど私の頭は何をしていても、すっかり一冊の本の魅力に捉えられてしまっている。それは「書肆スーベニア」(2017/08/05参照)で購入した、暮しの手帖社「暮しのなかで考える/浦松佐美太郎」によって齎されているものだ。この本が珍しいものであることは、ぼんやりと門外漢的にも知っていたのだが、改めて調べてみると、思っていたより稀少な本であることが分かったのである(ただ本に関する情報は、それほど浮かび上がって来ないのが残念)。長い間絶版になっている一冊らしく、所持しているのは昭和三十八年四月刊の三刷である。変わった名を持つ著者の浦松佐美太郎(うらまつ さみたろう)はジャーナリストで登山家。この本は「暮しの手帖」に三年間連載した十五篇の随筆を収録。装本はもちろん花森安治で、表紙絵のフライパンとそこに乗る食材の線画装飾具合が、果てしなく懐古的にプリティーである。さらに角背で132mm×186mmの、正方形に近づくような少し寸詰まりの変型サイズが、物質として手に馴染む愛らしさを演出している。肝心の内容は“考える”をテーマに据え、日常に潜む問題(お金、読み書き、家族関係、人口、洋服、生活リズム、文章、言葉、愛情、政治、人格、願望、欲望などなど)を真面目に掘り下げて行くのだが、それはいわゆる“思想”や“哲学”などの形而上での難しい思考実験ではなく、あくまでも形而下、つまり生活の中で思考し暮らすことを提唱し展開して行く。難しく考えるのではなく、まず暮しがあり、その中の身近なことをはっきり意識して考えて行くための、様々な例と方法と気付きが書かれているのだ。“考える”を、大きな世界の真理や秘密を探るものとしてではなく、小さな暮しをよりよくするための道具として、使用しているのだ。傾向としては花森安治の「さかさまの世界」と似た匂いが漂っているのだが、この“暮し思考”が何だかとても新鮮なのである。本来ならこういう超地味真面目な本は肌に合わないので、ほとんど読まずに「ヒヒ、高い本を安く買えたぞ。すぐに「フォニャルフ」で販売だ!」と卑しく売ってしまう可能性大だったのだが、まず造本に捉えられ、次いで本文に捉えられ、あげく「暮しの手帖」ワールドに引き込まれてしまい、真剣に読み続けてしまっている。こんな予想外なこともまた、古本屋さんで、この本と出会えたおかげなのである。あぁ、世の中には、まだまだまだまだ、知らない本が満ち満ちている。
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posted by tokusan at 20:50| Comment(0) | 追記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする