2019年08月04日

8/4下北沢で失敗する。

池の上の谷底にお昼過ぎに流れ着き、炎熱のために青色吐息。だがユラユラと西に進路を採り、「由縁堂」(2008/09/02参照)前に着けば店休日。めげずにさらに西の谷に下って下北沢『茶沢通り』へ。「古書ビビビ」(2009/10/05参照)の涼しく薄暗い店内に逃げ込み、ようやく生きた心地を取り戻す。そうだ、「マニタ書房」(2019/03/29参照)の棚は何処に…と店内を探索すると、帳場横の棚の最上段にマニタ棚を発見。棚の一段が『マニタ書房』と書かれたテープで縁取られ、いつかあのお店で見た本たちが、濃厚に特殊に肩を寄せ合っている。良く見ると『期間限定』とあるが『終了日は未定』ともある。何はともあれ、ここに「マニタ書房」の魂が一部移植されているのは良いことだ。そう思いつつ、店内中央辺りのコミック棚に、貸本漫画が大増殖しているのに引き込まれてしまう。そう言えば表の棚にも何冊か出ていたし、帳場下横にもダダッと並んでいる。最近たくさん仕入れたのだろうか。何か面白いものはないだろうか…と視線をせわしなく移動させていると、貸本漫画の隅っこに、ちょっと異質な一冊を見つける。薄手のハードカバーの講談社「なかよし」付録本である。「けっさく物語 まりのゆくえ なかよし十月号ふろく」…ビニール包装されているので中は見られないのだが、当然中身は少女漫画なのであろう。そしてタイトルが「まりのゆくえ」か…なんだかミステリーっぽいな…“まり”という名の女の子が行方不明になるのか、それとも大事な“鞠”が無くなってしまい探し出す話なのか…むぅ、どっちにしろ「まりのゆくえ」が気になってしかたない…というわけで思い切って千五百円で買うことにする。帰りの涼しい車中でビニールをひっちゃぶき、開いてみると『佐藤紅緑・原作』と大きく書かれていたので、この時点でミステリーではないことが分かってしまった。佐藤紅緑少女小説のコミカライズなのである。「まりのゆくえ」というのは、新しく学校に赴任して来た先生がする啓蒙話で、子供の時に妹と鞠遊びをしていると、ふとした瞬間に鞠が無くなってしまい、これがいくら探しても見つからない。そこに現れたおばあさんが、額に“鞠”という文字を三度書いて、三べん回って目を開けばすぐに見つかるよと実演し、たちまち鞠を見つけてしまう。つまりは『物を探すには足元からじっと気を落ち着けて探すものですよ。あなたたちは、焦ってせかせかしているから足元にある物も見えないのです』ということなのであった…ハイ、気をつけます…。
marinoyukue.jpg

ところで先日買った都筑道夫「燃えあがる人形」を読了したのだが、怪奇小説というよりは「幻魔大戦」や「エスパイ」のようなサイキック小説なので、意表を突かれてしまった。東京大空襲後の、関口・小日向・目白台・護国寺・大塚・江戸川橋などの狭い地域を舞台にしており、その描写がとにかく事細かく、思わず東京地図と首っ引きで楽しんでしまった。同じ日に買った「きりんの本 5・6ねん」(1959年刊)はまだ読んでいる最中だが、とにかく掲載作品の上手さと瑞々しさに舌を巻きっ放しである。日々の暮らしと生活に根付く、観察力と表現力がどれも半端なく上質で、いわゆる優等生的な作品や、掲載傾向を研究して書いた作品を超える文章が連続するのだ(当然そこには選者や編者の思いや干渉が存在しているのだが)。いやぁ、この素晴らしい詩や文章を書いた子供たち、今何をしているんだろう。とにかく読めば読むほど衝撃の連続なので、いつか『3・4ねん』と『1・2ねん』も読んでみたいものである。ちなみに本の元になった雑誌「きりん」は大阪の「尾崎書房」が発行していたので、掲載作品は関西弁でかかれているものが圧倒的に多い。だからなのか、作品の落ちが絶妙なツッコミで終わることが多く、それがとても新鮮で鮮烈な印象を齎している。まだ少しだけ「きりん」を齧っただけなのだが、すっかりぞっこんになってしまった。
posted by tokusan at 16:32| Comment(0) | 古本屋消息 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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